このところたくさん絵を描いている。
実は2024年に、また海外での展示会が決まった。
(詳しくはまたお知らせするね!)
決まってから作品提出までの締め切りも近くて、
連日絵を描いていたんだけれども
絵を描きながら、
作品の「失敗」について考えてた。
作品の失敗って、なんだろう。
私のような画風だから言えるとは思うけど
自分が想定した線よりも
太かったり細かったり
小さかったり大きかったりしたとき
わたしはその想定外の出来事が
「面白い!」と思って逆にテンションが上がってることに気づいた
もはや想定外を求めているようにも感じるくらい
絵の具を筆につけてから
そこからどんな線を生み出されるのかが楽しみ。
いつからだったか、
木の葉が落ちるのがとても芸術的に感じるようになって
その意図のない振る舞いに感動したことがあった
木から離れ落ちて
フワフワと軌道も定めずに舞っている様、
着地への期待もなくただ流れに身を任せている様、
そして地面に落ちたときの、完成された感じ。
偶然なのに、必然みたい。
そこにおちるべくして落ちたと言わんばかりだった
「自然はそのすべてが芸術なのか…」と
よく知っているわけではないが千利休のような気持ちになった。
何かの意図によって動かされるより
もっともっと自然で純粋な表現。
そんなものに尊敬と憧れに似た気持ちを感じた
もしも
私が木の葉だったとして
隣に生えていた木の葉が
いよいよ落ちるという時に
「よし、そろそろ落ちると思うんだが
こう落ちようか?
いや、このように落ちた方がいいか?
それともこうか?こんな感じか?!
体はこのように少し捻じれて、角度はこう。
おっけい完璧。
この落葉という人生に一度しかない晴れ舞台、
完璧な状態で着地してやる!!」
と言いながらついに舞っていったとしたら
私は友(葉っぱ)との別れ際だというのに
ちょっとした興醒め感を感じる気がする。
何も意識していない時の方が
よっぽど美しいのになぁ。
周りの目を気にして
意図ばかり、期待ばかりしていると
案外「身を任せる」って難しい。
私たちは自然の中にいて、
自然と共存しているというよりは
むしろ自然そのものとして生きていて
ああしよう、こうしようとこねくり回さなくても
きっともっと偶然な必然の中で
身を任せて生きることができるはずなんだ
絵を描く時の線は
こんな感覚を持ちながら描いている
想定外の線が面白い。
だから
その想定していない線が絵の中に入った時に
失敗した!なんて思うのはもったいないんだよなぁ。
作品の表現って本当に様々だけど
こと絵画、とくに実際にペイントする作品に関しては
そのくらい自分の一挙手一投足を許している
(逆に音楽の方が
リズムがあって、音程があって
綺麗な線、という正解が求められていて
透明なキャンバスに描いてるのに
綺麗な線が描けないと成り立たない…
と思っている自分がいる)
絵画のキャンバスはあまりにも白い。
それが面白いんだなぁ。
今日、海外の展示会の絵を一枚決めた。
今度みんなに報告するね!☺️