「あれは桜の木だったのか」
今日、作業の合間に
窓から外を見ると、先ほどまで小雨だったものが
後から出てきた太陽で地面が照らされて
外全体がキラキラしている
なんか、外行きたいなぁ。。
思い立った時に行動できるのは
生きる喜びのひとつであると
最近は感じているので
ちょうど作業に区切りをつけて
外へ行く準備を。
どこへ行くか…と問いかける間もなく
心が「森へ行きたい!」と言っていた
私の普段作業をしているスタジオの裏は
森の入り口になっていて
すこし歩くと森林浴ができるくらいの
森がある。
森の入り口近くには
木こりがつくったような
木のベンチが置かれていたりして
ちょっとした憩いの場にもなっていて
人も全然こないし、
私のささやかな秘密の場所になっている。
ここ最近忙しくて
行きたくても全然行けてなかった…
焦った気持ちで森に行っても気持ちよくないから。
でも今日はなんだか森に行きたい。
とても行きたい、なんでだろう?
支度を済ませて外へ。
気温がちょうど良い、
風が気持ち良い、
4月も半ばにさしかかって
寒さが遠のいているのを感じる
配達の豆腐屋さんが通り過ぎる
豆腐で生きるってすごいなと思いながら
ものの5分で到着。
いつもの秘密の憩いの場に行くと、
地面が桜の花びらだらけだった
え、桜の木?あったっけ…
上をみると、舞い散る桜、桜、桜…
どうやらそれは憩いの場の木のベンチの
隣に生えてある木からのものだった。
いつもベンチに座ると隣にあるその木、
「あれは桜の木だったのか!」
街に生えているような桜よりも
ずっと背が高くて細長い。
形がいつもの桜の木じゃない
いままで何の木か知らずに
よく触れてみたりもたれかかってみたり
声をかけてみたりしていたけど
桜の時期に訪れたのは
実は初めてだったのか?
この木が桜の木だったなんて…!
感動してしまった。
きっとこの景色、
森の中ではらはらと舞い散る桜の景色を見るために
今日、森に行きたくなっていたんだろうなぁ
呼ばれたんだなぁ
心の導く方へ行動してみると
理由なんか知らなくてもいいってことが結構ある
それはあとからわかるものだから
静かで、風の音と木の枝が擦れる音、
鳥の鳴き声しか聴こえない
ベンチの近くで軽くヨガをして
瞑想をする
ここで生きる木々や生き物たちの一員に
なったような気持ちで気持ちを落ち着かせる
なんて穏やかなんだろう…
……。
少し目を開けると
雪が降っているときのように
桜の小さな花びらが風に舞っては
地面をだんたんと埋め尽くしてゆく
桜は木で咲いているときは
あんなにも豪華で華やかなのに
散りゆくときは小さくてかわいらしくて
派手さと謙虚さの共存な気がしてきた
木になれるものならなりたいなぁ。
来世は植物のように、
摂食行動をせずにおなかが満たされる存在になりたいよ。
瞑想しながらいろいろ考えてしまった。
考えてしまっては瞑想ではないから
まだまだ修行が足りないね
ふと見ると
膝にかけていた上着の上を
よくわからない黒い虫が歩いていた。
変わった歩き方をする虫。
なんだか無防備にも
こんな私に近づいてきてくれて
ちょっと嬉しかった
こんな自然界のものとも言えないような人間に
近づいてきてくれるなんて。
農薬だらけの野菜とか
添加物だらけの食事でできた生き物は
いつから自然界のものとは言えなくなるだろうか?
わたしはまだ自然界の存在なのだろうか。
でもそんなこと言うと
私の体を自然たらしめようとする細胞たちに
甚だ失礼な話だったりもする
どれだけ何を食べようとも
体はそれを浄化しようとしてくれているのを知っている。
2、3歩ごとに前足をくるっと回してから
地面にトントンと触れて、
何かを確認するかのようにちょっとずつ進む黒い虫。
この子が今している行動は
理性でも煩悩でもないような気がする。
目の前の虫の自然さと
自分の生き方の対比を感じたりした。
近づいてきてくれてありがとう。
これが夏になると蚊の大歓迎を受けるので
森はいまくらいがちょうど良い。
そろそろ帰るか〜
太陽がだんだん夕日になってきた。
森の入り口に戻ろう。
すっきりした気持ちで歩いたが
森の入り口についてからハッとした。
森の入り口付近の木々が
しばらく前に伐採されていたことは知ってたけど
思っていた通り、、
ソーラーパネルだった。。。。
木を切ってエコとはなんだ?
CO2削減といいながら
木を切ってしまっては元も子もなくないか?
以前から問題にはなっていたし
最近では自然景観の破壊が目立ってきていたけど
まさかこんな近くの小さな森まで
その手が及ぶとは。。
エネルギー供給の問題について
何も知らずに否定はできないけど
この悲しい気持ちは隠せなくて
できることなら土地を買い占めて
ソーラーパネルも取り外して
また木を植えて木の生き物や生態系の
保全活動をしたくなった。
この場所にソーラーパネルを設置する人は
本当に人間なんだろうか?
この森の空気感を感じられないのだろうか?
それよりも補助金や利益が大切なのだろうか?
今生きてる木を殺して得られる電気。
これは一体なんなんだ…
人間が食物連鎖の頂点に立つことで
どれだけ地球に負荷をかけてしまっているんだろう。
どれだけのことを考えないといけないんだろう。
これ以上ソーラーパネルが拡大されるのは
本当に心が許せなくて悲しくなる。
電気もガスも家もスタジオも享受している身で
言えることなんて本当に少ない…
でも生きるって
そんなにいろいろ壊さないと生きられないのかな?
生き方を模索しなくては。
なんだかこれを書いていて
心の中で燻っていた自然的な生き方について
もうすこし探究したくなってきた
できることからやってみよう
森の保全も、自然との共生も。
めちゃくちゃモヤモヤしながら
森の帰路を辿ったのでした。
生きるって難しいね。
森の桜が咲いているうちに
もう一度見にいかなくちゃ。